僕の話を聞いてくれ





とある山奥にある小さな村。

この村では一切の会話がない。

3年ほど前、この山で自殺しようとしていたところを

ここの村人に引き止められて以来ずっと世話になっている。

最初助けてくれた村人だけは僕に話しかけてくれた。

ここでは一切の会話がないこと、

会話がなくても意志の疎通ができること、

相手の言いたい事をわかってやれるよう努力すること。

もう3年になる。次第に僕も会話をしなくなった。

最初は不気味な村だと思ったし死にたい気持ちも抜けなかったが、

今ではもう平気だ。

会話がないだけで意志の疎通はできる。

テレパシー、というものにすごく近い。

本当に何も言わなくても相手はわかってくれるし、

不思議とこっちも言いたい事をわかってやれる。

俺はこれを勝手に「テレパシー」と呼んでいる。

感受性が異様に高いんだ。ここの村人は。

めんどくさい人間関係は嫌いだったのでちょうどよかった。

それが元でそもそもこんなところまでやったきたんだ。

ただ、必要な時以外は感受性を「閉じて」おかないと、

知りたくもない他人のどろどろした部分まで読み取ってしまうことがある。

だから最初は困った。閉じておくほうが難しい。





ある日畑を耕していると、突然涙が出てきて止まらなくなった。

よく見てみるとまわりの村人もみんな泣いている。

その理由も知っていた。

この村の長老が死んだのだ。寿命だった。

こんなことまで「テレパシー」で伝わる。

だからこそ会話は必要ない。

みんな無言で長老の家へと歩いていく。

家で寝ていた村人も、畑を耕していた村人も、みんな。

すすり泣きの声だけが響く、悲しい日。





長老の家は少し小高い丘の上にある。

古いが、結構大きな家だ。

でも長老の家に村人みんなが押しかけたもんだからかなり狭かった。

30人ほどしかいない小さな村だが、

こうして集まると結構多いような気がした。

みんな思い思いのことを思いながら喪に服していた。

あんまりにも悲しくなるので、感受性を「閉じて」おくことにした。

30人の悲しみを一斉に受けると、どうもおかしくなりそうだ。

しかし耳に入る音だけはどうしようもなかった。

小さな女の子が、横たわる長老に向かって泣きながら必死に

おじいちゃん、おじいちゃん、と呼びかけていた。

孫だ。初めて声を聞いた。

何度も何度も呼びかけていたが、答えを聞けるはずもない。

この村で人の声が聞けることはめったにない。

もうかれこれ2年近く聞いた覚えがなかった。

そういえば快くよそ者の僕を受け入れてくれたのも長老だった。

反対の声もあっただろうに。

血はつながっていないがここで家族もできた。恋もした。

あの時死ななくて本当によかったと思う。

ここにやってきて本当によかった。長老には世話になった。

女の子がやっと呼びかけるのをやめた。

今はうつ伏せて泣いている。

その光景を尻目に、僕は長老の最後の「テレパシー」を思い出した。


「強く生きろ、若者よ」


涙が出るほどうれしく、だからこそ悲しかった。




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